霞が関残酷物語 【西村健】

霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち (中公新書ラクレ)

霞が関残酷物語―さまよえる官僚たち (中公新書ラクレ)

キャリアとして4年くらい霞が関で働いていた方が書いた霞が関の本。


ちょっぴり古いですが結構細かく、かつ分かりやすく書かれており、お勧めです。

どこかの省(経産省だっけな)の4階は(3階だっけな)窓が開かず、階下にはネットもあるそうです。

なぜだかわかりますか?

自殺対策らしいです。

官僚ってそんなに自殺多いの??

あと、泥臭いことばっかり任されるノンキャリアが、実はキャリアを含めた人事権を握ってるとか、なんだか意外。ちなみに、制度上は40歳で月給20万とかにもできるみたいです。怖いですね。

最後に、下記本書で最も印象に残った部分:

自民党の「事前審査」を経なければ、政策を国会に上げることはできない……という政府内暗黙のルールについては、第4章で詳しく述べた。それも案件を、部会の場にいきなり持ち込めばよいというわけでは決してない。実際に会議の開かれる以前に、有力議員センセイにはあまねく事前に”根回し”をしておかねばならないのである。後になってうるさ型の議員が「俺は聞いてないぞ」と言い出した日には、通る政策だって通らなくなってしまう。そのため万全には万全を期し、ほとんど関係なさそうな議員にまで事前の”根回し”を行っておく。これば現在役人にとって重要な仕事の一つなのだ。
「政策の中身じゃない。最近のセンセイは『俺は聞いてない』だの『俺よりあいつのところに話を持っていった』だの、そんなレベルでゴネ、話を通してくれなくなるんだからたまりませんよ」
そうボヤくのは外務省のキャリア官僚
「だからなるべく怒らせないように、広くあちこちに話を通しておかなければならないんだけど、今度は”根回し”したとたんにすぐ懇意のマスコミに話をバラしてしまう。どんなに念を押しておいてもダメなんです。だから最低今日の夕刊に載ることだけはないように、夕刊の締め切りを過ぎてからセンセイたちの”根回し”に一斉に動く。そんなところにまで気を遣わなければならないんだから……」
「だいたい党内の意見調整なんだから、それは本来、党の中の人間がやるべき仕事なんじゃないんですか?」そう不満紛々なのは総務省のキャリア。
「そのために部会の幹部だっているわけでしょう?ところが現実にはメンバー全員に会って回って意見を調整するところまで、全部役人がやらされている。おまけに回る先々でセンセイに怒られてばっかり。これじゃあたまらないですよ。どこまで私らを小間使い扱いすれば気が済むのか?って」
”根回し官僚”の誕生。その歴史的経緯と分析については、『体験的官僚論』(有斐閣)という本に詳しい。著者は元農水官僚の佐竹五六。一九五五年東大法学部から農水省に入省した彼は、
「私が入ったころにはまだ、先輩たちが夜遅くまで『この国をどうするべきか』という議論を熱く戦わせていた」
と振り返る。
「まだ五五年体制がやっとできたばかりで、政治が混乱していた時期ですからね。官僚の打ち出した政策がそのまま通っていたんです。だからと言って彼らが、私利私欲で政策をゆがめていたわけではありませんよ。もちろん役所内で議論しているばかりでは、独善に陥る危険性はありますが、彼らが結構純粋な気持ちで『この国をどうするべきか』と必死に考えていたのは間違いない。そして打ち出した理想がそのまま政策として通るんですからね。役人にとってはいい時代だったでしょう。『俺は国のために働いている』そう実感して仕事に打ち込むことができた」
ところが一九六〇年代に入り、政治が力をつけてくると、徐々にその状況が変わってきた。制度上も最終決定権者はあくまで政治。つまり政治の了解を取らなければ政策が通らない時代が到来したのだ。役人による”根回し”の必然性が生まれてきたわけである。
「根回しにも最初はそれなりに意味があったと思う。どれだけ悪意はないとは言っても、やはり役所内だけで役人が理想論を語り合っていただけでは机上の空論になってしまいますからね。その点政治家センセイたちは地元を回って、有権者の声に直接耳を傾けている。民意を政策に反映させるという意味でも、政策立案に政治の了解が必要……というのは当然のことですよね。それに現実には、会議の場になっていきなり案を出したのでは紛糾して時間がかかる。だから効率化という意味から、事前の根回しでメンバーのコンセンサスを得るという形になった。当初はこのやり方に、それなりの妥当性はあったと思うんです。」
ところがこれが徐々に形骸化してくる。同じシステムが何十年も続くと、”根回し”の密室性に弊害が生じるのは当然のことだ。会議という開かれた場での議論でないだけに、「誰が何を言ったせいで政策が歪んでいったのか?」後々の検証が難しくなる。逆に言うと、”根回し”意見調整に参加しえる少数の面々にとっては、その場こそまさに「ゴネ得」の「言いたい放題」。政策を自由に左右しえる”特権階級”に昇華するわけだ。
そしてもうひとつ、役人の側に大いなる弊害が生まれていった。第4章でもふれた”族議員”のマルチ化。意見調整に参加しえる面々が特権を手にするのなら、当然みながわれもわれもと手を挙げ始める。こうして”根回し”対象は、無限に膨れ上がっていくこととなったのである。
「以前は農林部会のお偉方に話を通しておけば、それですべてが丸く収まった。どれだけ部会の席が紛糾していても、切のいいところで『それではこの辺で、結論は三役(部会長・専任部会長・部会長代理)一任ということで……』と協議を切り上げてしまう。そして結局、根回し段階で決めてあった結論が部会の総意として落ち着くわけです。ところがだんだん、そんな三役の言うことを聞かない若手議員も増えてきた。そうして役人からすれば、根回し対象がどんどん増えていったわけです。仕事は根回しばかり時間がとられるようになってしまう。しまいには肝心の政策の勉強をする暇もなくなってきた。これでは本末転倒ですよね。そもそも意思決定効率化のためだったはずのシステムが、逆に鈍化の方向に作用し始めたわけです。」
さらに重大な問題点を佐竹は指摘する。根回しがすべての大前提。そのシステムが定着してしまったことによって、官僚の政策立案能力そのものが阻害されたというのだ。
「何か新しい政策を立てようと思っても『そんなものあのセンセイが呑んでくれるわけないじゃないか』議論はそれで終わり。政策の中身がいいかどうかじゃないんです。”根回し”で通しやすいか否か。それがすべての判断基準になってしまった。いまや役所内で理想論を語るものなど皆無ですよ。センセイが呑む案かどうか。今ならあのセンセイが機嫌がよくて、話を聞いてくれるかどうか。役人が気にするのは、そんなことばかりになってしまった……」
コンセンサス主義では玉虫色に落ち着くしかない。理想が議論の過程でみるみる骨抜きにされてしまう……。省庁再編議論に参加した前出・松井(民主党参議)の体験談が、ここでも見事に重なり合う。システムにがんじがらめに絡め取られた結果、いまや役人は自分の理想論さえ言い出せない立場に追い込まれているのだ。
しかしその改善策を訴える先さえどこにもない。なぜならその生殺与奪の権―人事権を掌握しているのがまた、そのシステムの中で最大の利益を得る”族議員”たちなのだから。強大な”身分社会”メカニズムに組み込まれた”歯車”が、いまさら個人の良心に従って動けるわけがないのである。何といっても相手は、”上層階級”……。そんな理想の改革案を口にしただけで、「あんな奴は飛ばしてしまえ!」それで終わりである。

(p.230-235)

なんだかかわいそうですね。
民主党が与党の今でもこんな感じなのでしょうか…?

引用で紹介されていた本もクリップしておきます。いつか読んでみよう。

体験的官僚論―55年体制を内側からみつめて

体験的官僚論―55年体制を内側からみつめて