「眞相箱」の呪縛を解く 【櫻井よしこ】

眞相箱の音声の書きおこしと、それに対する著者のコメントがひたすら続く一冊。
構成が超単調で、途中でどこが書きおこしでどこが著者コメントなのか分からなくなる。

ただ、南京事件についてはちょっと参考に書いとく。

南京事件」については、烈しく対立する複数の論がある。『眞相箱』は、大規模な虐殺が行われたと伝えているが、立命館大学教授の北村稔氏の『「南京事件」の探求』(文春新書)及び阿羅健一氏の『「南京事件」日本人48人の証言』(小学館文庫)を併せ読むと全く異なる事実が浮かんでくる。
阿羅氏の著書の中に、上海派遣軍司令部の大西一参謀の証言がおさめられている。大西氏は一九三七年一二月一三日に南京に入場、三八年二月以降も特務機関長として一年間、南京にとどまった。時期、場所からいって南京事件を最もよく知り得る立場だ。
その大西氏は紅卍会についてはよく知っていても、崇善堂という組織については全く知らなかった。双方共に慈善団体で、日本軍が虐殺した中国人の遺体を多数埋葬した、と主張した。特に崇善堂は非常に多くの遺体を処理したという。彼らの主張こそが日本軍による大虐殺が行われたという根拠になっている。
だが大西氏は、紅卍会は知っているが、崇善堂は知らないというのだ。
「それが戦後、東京裁判で、すごい活動をしたといっている。当時は全然知らない」と大西氏は語っている。
ちなみに阿羅氏のこの文庫版は、八七年に出版された単行本が文庫化されたものだ。したがって阿羅氏の大西氏への取材は八七年以前のことである。
少なくとも一五年前に取材された人物の証言とぴったりと重なる事実を発掘したのが北村氏であり、それが書かれているのが二〇〇一年に出版された『「南京事件」の探求』である。
北村氏は崇善堂という組織が保有車一台、しかも部品が欠落していて満足に動かない車を一台持つだけの小さな組織だったことを中国側の資料から発見した。この崇善堂は一九三八年の二月五日から三月六日までのひと月に二五〇〇体余りを埋葬、四月には一〇万体を埋葬したと東京裁判で主張した。
だが北村氏による新資料発見で、崇善堂の主張はにわかに疑わしくなった。中古で動かない車を一台保有しているだけの団体に一〇万体の遺体をわずかひと月で埋葬するほどの活動が可能か。不可能であろう。それに、大西氏が知らないのはおかしい。何といっても氏は南京の特務機関長だったのだ。
加えて北村氏は、南京大虐殺を伝えたジャーナリストのティンパーリーが、国民政府から資金を得ていたことも新しく得た資料で明らかにしているのだ。
世界中に”事実”として広まっている日本による南京での三〇万人あるいは二〇万人虐殺説は今、こうした新しい資料によって否定された。それらの新しい情報をしっかり学べば、「南京大虐殺」は存在しなかったという結論に達せざるを得ない。心して、一人一人が、新情報から目をそむけないで、自分の目と頭でたしかめ、考えたいものだ。

(p.399-402)

貧弱な資料と根拠対決だ。。。